現在「ガンバ大阪」の主力として活躍する昌子源選手。ロシアW杯では日本代表のレギュラーとして活躍しました。そんな昌子源選手についてご紹介します。
昌子 源のプロフィール
昌子源選手ですが、産まれは兵庫県神戸市になります。1992年12月11日生まれの29歳です。
昌子 源のサッカー経歴
昌子源選手のサッカー経歴は「フレスカ神戸」というチームが最初だとされています。恐らく、地元のサッカー少年団チームだと思われます。このチームで小学生の頃にサッカーを始め、当時はフォワードを務めていました。そして中学にはプロサッカーチーム「ガンバ大阪」のジュニアユースチームに入団します。
しかし、中学2年生の頃に膝を負傷してしまい、怪我によってプレーが出来なくなってしまい、中学3年生の途中でチームを退団し、しばらくサッカーをしない期間もあったそうです。
当時サッカーのインストラクターを務めていたお父様のアシスタントとして、講習会に参加していた米子北高校のサッカー部のコーチであった中村真吾さんが、まだ進路が決まっていなかった昌子源選手へ練習の参加を提案しました。
昌子源選手はサッカーを続ける気は当初はありませんでしたが、この提案を機にサッカーを再び始め、米子北高校へ進学。ですが、順風満帆とはいかず大型フォワードとして期待されていた昌子源選手は出場機会に恵まれませんでした。
転機が訪れたのは高校1年の夏、当時JFLの「ガイナーレ鳥取」との練習試合で味方DFが負傷してしまいました。対戦相手にいたコートジボワールの世代別代表経験を持つコン・ハメド選手に対し、昌子源選手が堂々としたプレーをしていたため、監督の城市さんからDFへの転向を命じられました。それをきっかけにレギュラーを掴み取り、DFとして能力を開花させていきました。
そして、2011年に「鹿島アントラーズ」へ入団。そこで経験を積み、2015年に日本代表に初招集され、2019年にフランスのリーグ1「トゥールーズ」に移籍し、翌年2020年に「ガンバ大阪」に移籍し、日本復帰を果たしています。
昌子 源の結婚してるお嫁さんが美人と話題に?!
昌子源選手は2016年にご結婚されていますが、奥様は一般の方で、昌子源選手もご家族のことを発信するタイプの方ではないので奥様についての詳細は得られませんでした。
昌子 源の姉も美人でかわいいと話題に?!
昌子源選手のお姉様はなんと、元モデル兼女優兼実業家兼アートディレクターと様々な一面を持つ昌子楓さんです。
以下こちらのURLの記事にお写真がありますが、とてもお綺麗な方です。
参考:https://www.sanspo.com/article/20181112-RNCLMMOIU5JF3ORENT3UXE5FEA/?outputType=amp
昌子 源の年俸はどれくらい?
昌子源選手の気になる年俸ですが推定1億円とされています。とても高額でそれほどの実力がある事が伺えます。
昌子 源のプレイの特徴は?
昌子源選手の魅力は守備にあります。
まず、粘り強い守備です。
大柄のFWの選手にも屈する事なくボールを奪ったり、ドリブルの得意な選手に突破を試みられてもそれを阻止します。
次に、カバーリングの良さです。
非常に頭のいい選手で、どこが危険か、自分がどのプレーをしたら味方の選手が助かるかというのを瞬時に判断する事ができます。そのプレーによってピンチを防ぎます。
また、ディフェンスリーダーとしての力も発揮します。味方のDFに的確なコーチングを行う事で強固な守備ブロックを形成させる事ができます。
ロシアW杯の決勝トーナメント1回戦。ベスト8を目指す日本代表の前に立ちはだかった強豪、ベルギー代表。「ロストフの14秒」と呼ばれる試合終了間際の逆転負けが有名ですが、試合後ピッチに悔しさを強く表してたことから、人一倍熱くて、負けず嫌いなところも伺えました。
まとめ
いかがだったでしょうか。美人なお姉様を持つ昌子源選手。サッカー選手としても大変素晴らしいプレーヤーであり、現在は古巣の「鹿島アントラーズ」が再び昌子源選手を獲得しようとしてるという噂もあります。この記事をきっかけに昌子源選手を応援してくださる方々増えたら嬉しいです。
同じ選手だと室屋成選手や佐々木翔選手、古橋選手などのことについてもまとめていますのでぜひそちらもご覧くださいね。オナイウ阿道さんが今回のワールドカップの選手から落選した理由についても掘り下げてみたりしているのでそちらもぜひご覧ください。