原口元気の経歴と年俸、年収など気になるまとめ!

歳を重ねるごとに新たなプレイスタイルを身につけ続ける原口元気選手。2017年には「ロシアW杯 アジア最終予選」では当時、史上初となるW杯最終予選4試合連続得点を記録し、2018年ロシアW杯本大会ラウンド16のベルギー戦で先制点となるゴールを決め、日本人初となるW杯決勝トーナメントにおける初の得点者となるなど様々な記録を保持しています。そんな原口元気選手とはいったいどのような選手なのかご紹介します。

原口元気の基本プロフィール

本名原口 元気
生年月日1991年5月9日
出身地埼玉県熊谷市
身長179cm
血液型O型

原口元気のサッカー経歴

原口元気選手ですが、非常に華々しい少年時代を過ごしています。

小学生の頃に「江南南サッカー少年団」でそのキャリアをスタートさせると、その非凡な才能から「天才少年」と呼ばれるようになります。

参考:https://trend--box.com/archives/4023

「江南南サッカー少年団」で主力選手となると、2003年に行われた第27回全日本少年サッカー大会で優勝。

さらには、同年に開催された全日本少年フットサル大会でも優勝を果たし、小学生ながら全国大会で2冠を達成するというとてつもない記録を達成しています。

当時、筆者が中学生だった頃、通っていた塾の先生が現役の大学生で私に当時の原口元気選手のことを話してくれたことがあります。

私に勉強を教えてくれていた先生も小学校の頃からサッカーをしており、その先生が小学生だった頃、たまたま遠征に行った際に相手チームに当時小学生だった原口元気選手が在籍しており、他県の選手にも関わらず名前を広く知られた存在だった事、チームで圧倒的な中心選手であった事を覚えている。と聞いたのを私も鮮明に記憶しています。

そんな原口元気選手は中学校進学と共に「浦和レッズ」のジュニアユースに所属すると、早い段階で「浦和レッズ」のユースチームへと昇格。当時「浦和レッズ」のユースは黄金世代と呼ばれており、原口元気選手を筆頭にその後プロとなる、高橋峻希選手や山田直輝選手などを擁していました。

ユース昇格1年目から、公式戦出場の少ない若手選手に実戦経験を与えるために実施されていた「Jサテライトリーグ」に出場すると、「浦和レッズ」のトップチームへの登録を取り沙汰される程になり、「浦和レッズ」と提携しているドイツのブンデスリーガで現在リーグ10連覇中の超強豪「バイエルン・ミュンヘン」からオファーが来るほどでした。

参考:https://dic.nicovideo.jp/t/a/原口元気

高校生となった2008年に「浦和レッズ」の2種登録選手としてトップチームへの登録をされ、同年の「ナビスコカップ」の「名古屋グランパス」戦で公式戦デビューします。

2種登録について参考:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2種登録選手

※なお現在は「ナビスコカップ」ではなく「YBCルヴァンカップ」に名称が変更されている

翌年、2009年1月30日にプロ契約を果たすと同年3月7日にJリーグ初出場・初スタメンとなると、チームに負傷者が出てしまったこともあり即座にスタメン定着をします。

2010年には選手層の厚さもあり、レギュラーの座を離してしまいますが翌年2011年にはレギュラーに定着。

しかし、2012年に再びベンチスタートが多くなり、さらに今まで出場していたサイドのポジションではなく、不慣れな1トップでの起用が増え、フィジカルが強くなかった当時の原口元気選手は相手のDFに潰されてしまうことが多く、あまり活躍することは出来ませんでした。

しかし、ポジジョンをシャドーストライカーと呼ばれるMFとFWの間の役割を担うようになった2013年には再び輝き出し、リーグ戦2桁得点を達成します。

翌年2014年にはドイツのブンデスリーガ「ヘルタ・ベルリン」に移籍し海外挑戦をします。その後はドイツ国内の「フォルトゥナ・デュッセルドルフ」「ハノーファー96」でレギュラーとして活躍し、現在所属している「1.FCウニオン・ベルリン」へ移籍します。

原口元気のプレイスタイルの特徴は?

原口元気選手はプロになった当初と現在とではプレイスタイルが大きく異なります。

プロになった当初はドリブラーとしての一面が非常に強かったです。個人の力で局面を打開し、相手のDFを切り裂くプレーを得意としていましたが、現在では豊富なスタミナと運動量、攻撃の選手とは思えない程の守備面での大きな貢献をする献身的な選手へと変貌を遂げました。

また試合を締める「クローザー」として、与えられた役割。主に守備面で身体を張るプレーも出来るのが原口元気選手のプレイスタイルです。

原口元気の評価は?

原口元気選手はプロになりたての頃は、非常にやんちゃな性格でした。礼儀がなく、挨拶もせず、先輩の言うことを聞かなかったり、チームメイトに暴言を吐いたり、チームメイトの悪ふざけに怒りチームメイトを怪我させてしまって謹慎処分を課せられるほどでした。

参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/andotakahito/20180702-00087883

しかし当時「サンフレッチェ広島」を経てブンデスリーガの「1.FCケルン」から「浦和レッズ」へ移籍を果たした槙野智章選手が原口元気選手の教育係となり、どんどん更正をさせていきます。

その後ドイツへ渡った原口元気選手は人間性的にも大人になり、かつてのようなやんちゃ振りは窺えなくなりました。それどころか、今ではすっかり「良いお兄ちゃん」となり2022年6月10日に行われた「キリンチャレンジカップ」のガーナ戦で代表初ゴールを決めた久保建英選手に対し、試合後「もっと喜べよ」とゴールした久保建英選手を祝い、それを前面に出すように促したのは原口元気選手でした。

参考動画:https://youtube.com/shorts/pJDA_uUqpT8?feature=share

2022年カタールW杯本大会のメンバーから外れてしまった原口元気選手ですが、その落選は「サプライズ落選」とも呼ばれるほどで、試合後半に守備の強度をあげ、攻撃のスイッチを入れる選手として非常に能力の高い原口元気選手がW杯メンバーに落選してしまったことは話題になるほどでしたので、その評価は高いことが伺えます。

参考:https://news.yahoo.co.jp/articles/3a0113cfa5e307b30f32b174cc8e3a8e0de0502b

今回なぜW杯メンバーから落選したのかは識者の間でも不明な点が多く、その理由を推察するのも困難であるのが事実です。

原口元気の現在の年俸と年俸の推移は?

原口元気選手の気になる年俸の推移ですが「浦和レッズ」に在籍していた1年目の2009年は360万円。2010年に600万円。2011年に700万円。2012年に1000万円。2013年に1500万円と年々着実にその年俸を上げたとされています。

ドイツに移籍をした「ヘルタ・ベルリン」では2014年に2500万円。2015年に8000万円。2016年には7800万円と少し減少してしまうものの2017年に9300万円とその年俸を上げていきます。

2018年「フォルトゥナ・デュッセルドルフ」では推移なく、9300万円。

移籍を果たした「ハノーファー96」では2018年2019年で2億円と一気に上昇。

2020年に2億2000万と原口元気選手自身の最高年俸を記録し、2021年に2億1000万。

「1.FCウニオン・ベルリン」に移籍した2022年現在は推定1億1300万円とされています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。少年時代より「天才少年」としてその名を馳せていた原口元気選手。その時代より数々の栄光を手にし「浦和レッズ」の所属選手としても優秀ながら、やんちゃな一面を持つ彼は、今や良きお兄ちゃんとして、チームメンバーを支えるほどの選手となりました。今回は残念ながらW杯本戦メンバーには落選してしまったものの、その落選が話題になる程選手としての価値が高い選手ですので再び日本代表に帰ってくることを期待しています。この記事をきっかけに原口元気選手を応援してくださる方が増えたら嬉しいです。

同じ選手だと室屋成選手佐々木翔選手、古橋選手などのこと、昌子源さんについてもまとめていますのでぜひそちらもご覧くださいね。オナイウ阿道さんが今回のワールドカップの選手から落選した理由についても掘り下げてみたりしているのでそちらもぜひご覧ください。

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